玉城和美の描き絵空間

琳派の元禄文化「かきえ」を令和へ繋ぐ絵師の活動日誌

琳派400年と私 その2

私が生まれ育った1960〜70年代の京都では、一般家庭の中でも、美しく楽しい琳派意匠を施した建具やキモノ、食器、小箱などの工芸品が、普通につかわれる生活雑貨として暮らしの中に満ち溢れていました。日本の伝統的な深くて微妙、多種多様の色合わせやデザインをシャワーのように浴びて暮らしているうちに、自然と私の中で、独自の感性が育っていったのだとしたら、それもまた琳派から受けた恩恵ではないだろうかという話の続きです。
父は西陣織の帯をつくる仕事をしていましたので、うちにも美しい金襴緞子や凝った袋帯がたくさんありました。母がそれらを気軽に締めて、参観日に来てくれることがとても誇らしく嬉しかったのをよく覚えています。せがんで13参りにつくってもらった晴れ着は、舞妓さんのように大人サイズの振袖を肩上げして、帯は緑地に金銀、朱、ラピス、山吹、藤色、橙などの色糸で、祇園祭の船鉾の絵柄を、豪華に大きくデフォルメして織ってありました。もちろん父のデザインです。今はもう、あんな帯はつくれない(作れても売れる価格で収まらない)と思います。
父は早く亡くなりましたので、仕事ぶりを全く知りません。が、大学にいってマーケティングやモノづくりのコンセプト、取り組み方を勉強するにつれ、日曜日のデパート巡りの意味や、私の持っている流行のファンシーグッズなどに興味を示していたことなどから、ヒットメーカーだったのだと想像しています。
そして、父もまた琳派が好きだったようで、部屋から宗達風神雷神図などを描いた色紙が、沢山出てきました。それは模写というよりは、浦山仁三作でした。最期につかったのであろう絵の具がカチカチになって残っていた陶器の梅皿は、今も私が描き絵につかっています。

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