玉城和美の描き絵空間

琳派の元禄文化「かきえ」を令和へ繋ぐ絵師の活動日誌

はじめての女川②






女川駅では、約束通り「赤カブじいさん」こと鈴木さん、「マコちゃん」こと鈴木さんの奥さんの妹さんが、笑顔で待っていてくださった。目があったとき、ほっと安堵して嬉しかった。「せっかく来たのだから」と津波の爪痕を残す医療センターに案内してくださった。チリ津波に被災しているので、病院は「不必要では?」と思うくらい盛り土して高台に建てられていたが、5年前の津波では、一階部分は水没、カルテも全て流された。まさに町民の想定外だったのだ。
電車で行くとよくわかるが、女川は海岸線に沿って線路と国道が並んでいて、民家のすぐそばを走っている。歩いて10分程で上がれそうな山もすぐそばにあって、海と山の間の際に、役所、病院、商店、民家が立ち並ぶ、三陸独特の海沿いの町だ。
鈴木さんの流された自宅と美容室は、役所の上に位置し駅にも近く、生活にも商売にも一等地だった。今は、一括整地されていて帰ることは許されない。これからは町の防波堤の役目を担っていくことになるのだろうか。
そこから車で5分くらいの高台にある新居は、もともと娘さん夫妻のお宅があった40坪の敷地にあった。娘さんの家は、お風呂が壊れた程度で津波でも流されなかったが、4月7日の余震で全壊した。鈴木さんが一人で、体育館の避難所から毎日通って、せめてお風呂だけでも家族が気がねなく使えるように、セメントで修理したが、そのお風呂に入ることは一度も叶わなかった。全壊の直後、馴染みの棟梁に、「いつか必ず、ここに建て直すからお願いするよ」と二軒分の材料確保を懇願、二年後に仲良く二軒並んで再建された。
現在のご自宅は、海風の通るバリアフリーの明るい木造住宅。ガレージに着くと奥さんが出迎えてくださり、お玄関で「赤カブ」と再会。
漆塗りの宝箱にブドウを描いた作品と、京都のお菓子を包んで持参したバンダナをお土産に渡すとじっくりと見てくださって「似たようなのを持ってたけど、全部なにもかも流されちゃったね・・・お昼、まだでしょう?」と出してくださったお稲荷さんとキュウリのカラシ浅漬けを頂きながら、「車があっておじいちゃんがいてくれたから、一家4人の命を救われたのよ・・・」と、三人が次々とわき出るように話し始められた。もしも、震災が前日だったら、同じ二時半頃に鈴木さんご夫妻は車で買い出しに出ておられたので、マコちゃんと当時は存命だった足の不自由なおかあさまは、「津波が来ます」の町内放送を聞いても、半時間ではとうてい逃げることができなかったそうだ。
現金、衣服、食べ物、家財道具、愛着のある思い出、家とガレージ、美しい庭、マコ美容室。きれいさっぱり全部、一瞬で引き波にもっていかれた。ちなみに、命を救った記念すべき愛車は、80才になる今月一杯で免許返上で廃車される。鈴木さんは、若い頃に肺癌を患い、事故で脛椎をやられ、震災も含めて何度も生き抜かれてこられたという。好奇心と素早い選択、そして、すごいパワーを感じた。すぐ届くところに、それぞれの薬が入った名前付きの刺し子ポーチが三個、仲良く並んでかかっていた。

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